本宮良御嶽・オンナー(小さな御嶽)では次男の本宮良頭の永將が1624年石垣島富崎に漂着した宣教師のルエダ神父をもてなし、信仰、洗礼、キリシタンとしてゆかりの地新川(喜田盛)で焚刑に処せられた。ルエダ神父は粟国島へ流刑。そこで殺害された。その後、1636年宗門改めの踏み絵により六男の宮良与人永定もキリシタンとして発覚。薩摩の命により1638年同じ新川のオンナーで焚刑に処された。
オンナー(キリシタンの焚刑場) その1
本宮良御嶽・オンナー(小さな御嶽)の祠には姉たち(多比・真市)の足元に流れ着いたと伝えられる次男の本宮良頭(二代目、任不明~1624年まで勤務)の嘉善氏五世永將(童名:ほくりむい、生不明~1624年卒)、六男の宮良与人永定(童名:保久利思、1600年生~1638年卒)の2つの霊石がある。祠の中央にはかつて嘉善姓の本家にヤーバン(家判)と言って四つの巴の「心字紋」が残っていた。その四つの巴えは「魂」、すなわち「精神」を意味し、「善を嘉す」からきたと言われている。嘉は、元祖の出生地の「嘉平村」、「嘉利吉(公用船)」をも意味している。 “オンナー(キリシタンの焚刑場) その1” の続きを読む