『八重山の考古学』(先島文化研究所/1999年)の「第3章 無土器時代(先史時代第二期)」の「Ⅴ 先島(宮古・八重山)の無土器時代の遺跡」より。
フカノキの花
考古学研究グループ その4
高校1年生の夏休み、西表島の西部から東部を考古学研究グループで踏査しました。西部の浦内川には橋がなく、渡し場で渡真利さんの伝馬船(てんません)で川を渡りました。上原ではまだ石炭の採掘が行われ、中野炭鉱を見学しました。
オンナー(キリシタンの焚刑場) その2
オンナー(キリシタンの焚刑場) その1
本宮良御嶽・オンナー(小さな御嶽)の祠には姉たち(多比・真市)の足元に流れ着いたと伝えられる次男の本宮良頭(二代目、任不明~1624年まで勤務)の嘉善氏五世永將(童名:ほくりむい、生不明~1624年卒)、六男の宮良与人永定(童名:保久利思、1600年生~1638年卒)の2つの霊石がある。祠の中央にはかつて嘉善姓の本家にヤーバン(家判)と言って四つの巴の「心字紋」が残っていた。その四つの巴えは「魂」、すなわち「精神」を意味し、「善を嘉す」からきたと言われている。嘉は、元祖の出生地の「嘉平村」、「嘉利吉(公用船)」をも意味している。 “オンナー(キリシタンの焚刑場) その1” の続きを読む