1994年9月26日、沖縄考古学会創立25周年記念式典と記念講演が沖縄県立博物館で開催された。祝賀会は移動して農協ホールで盛会に行われた。写真は(故)多和田真淳先生、(故)友寄英一郎先生はこれまで沖縄考古学に大きく貢献され感謝状を受賞された 。両先生を囲んでの記念写真です。専修大学教授亀井明徳氏が「南西諸島出土の貿易陶磁の経路について」のテーマで講演した。
日本考古学協会 第62回総会参加
1996年5月25日、日本考古学協会第62回総会が早稲田大学で開催された。その際、早稲田大学教授谷川章雄氏の取り計らいで1992年1月にお亡くなりになった早稲田大学名誉教授滝口宏先生、1995年にお亡くなりになった早稲田大学教授に西村直衛先生、両教授宅へお伺いしお焼香しました。1959年早稲田大学八重山学術調査団一行・代表:滝口宏先生が来島されました。翌年の1960年に滝口宏編『沖縄 八重山』(校倉書房)の報告書が発行された。その一部には「八重山の考古学」(西村直衛・玉口時雄・大川清・浜名厚)、「綜合所見」のなかで石垣市内採集品大浜永亘君寄贈品が記されいる。(西村直衛)、「結語」(滝口宏)と記載されている。また、1959年10月15日付『琉球新報』の「学芸」の欄に滝口宏(早大八重山学術調査団長)が「伝え守られた古代日本(下) ◎南の島々を巡って◎ 古拙味に富む土器 豊富な古代の音韻 一冊でも多くの本を」という小見出しで投稿している。
八重山における鍛冶遺跡 その3
八重山における鍛冶遺跡 その2
徳之島のカムイ焼研究家義憲和先生がヨヲキ洞穴から出土した花岡岩製ふいご羽口が首里城(模造した石製鞴羽口)、砂岩製のふいご羽口は石垣島(仲筋貝塚・元桴海村遺跡)、西表島(上村遺跡、高那村遺跡=1732年創建~1906年廃村)、与那国島(与那原遺跡)や波照間島の北集落の加治屋跡から採集出土している。『琉球新報』1991年9月4日付「多量の鋳造遺物出土 琉球王府の工房跡金ぼし、るつぼなど首里城発掘調査 」という見出しで、石製・土製の羽口が掲載されている。 “八重山における鍛冶遺跡 その2” の続きを読む
八重山における鍛冶遺跡 その1
スク時代 1994年8月19日 金曜日 八重山におけるスク時代(11~16世紀)の鉄器・鍛冶は北からのと渡来者の積極的な南島経営により、鉄鍋などを材料鉄として鍛連鍛冶・小鍛冶へと再加工していたと思われる。自著・自費出版『八重山の考古学』(発行:先島文化研究所/1999年)の「第4章 スク時代(原史時代)」の項の「Ⅱ 村建に関わる遺跡、Ⅳ 八重山諸島の鉄器・鍛冶遺跡と伝承」で述べた。1994年11月25日「ふいご羽口」、8月19日「スク時代」について琉球新報の「落ち穂」の欄へ投稿した。また「Ⅳ 八重山諸島の鉄器・鍛冶遺跡に関わる伝承」のなかで代表的な石垣島の元桴海村遺跡(小鍛冶の遺構、小鍛冶炉跡)、西表島の古見赤石崎遺跡(砂岩の岩盤を利用した砥石、火の神=三霊石は竈、砂岩製で大型の円筒状にしたものでふいご羽口の未完製品)、毎年行われる小浜島の8月の結願祭の「かんざく狂言」である。