1977年11月、南島史学会の休憩の合間に多和田真淳先生を初め、県文化課職員や多くの先生方にフーネ遺跡発見の爪形押紋の土器を見てもらった。この爪形押紋の土器はすでに多和田先生によって西表島の仲間第ニ貝塚から発見され、赤色土器と呼んでいた。その際、フーネ遺跡発見の土器を赤色土器と呼びたいと言ったら多和田真淳先生はうなづき喜んでいた。この際「石垣島フーネ遺跡発見の土器に関する新聞発表論考」を学兄の新田重清先生、安里進氏と『沖縄タイムス』に共同執筆した。
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