Ⅱ-3.名蔵シタダル海底遺跡における中国製の貿易陶磁の散布状況

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研究ノート02 名蔵シタダル海底遺跡ににおける中国製の貿易陶磁の散布状況

Ⅰ.はじめに 
Ⅱ.名蔵シタダル海底遺跡に関する調査結果や関係論文など(その1)
Ⅱ.名蔵シタダル海底遺跡に関する調査結果や関係論文など(その2)
Ⅲ.名蔵シタダル海底遺跡における中国製の貿易陶磁の散布状況
Ⅳ.中世のスク時代の船着場(港)疑問


Ⅲ.名蔵シタダル海底遺跡における中国製の貿易陶磁の散布状況

 名蔵シタダル海底遺跡から採集した中国製の貿易陶磁は、筆者(大濵永亘)が1960年6月に青磁の碗や白磁小皿を発見して以来、48年間通いながらフサキ浜、シタダル浜(写真9)、クマダ浜(写真10)、クードー浜などと地元で呼称されていた海岸一帯を踏査し採集した遺物である。これらの名蔵湾東南海岸の浜辺から沖合一帯を総称して「シタダル海底遺跡」と称しているが、中国製の貿易陶磁などの散布状況をみると、狭義の地域で言うシタダル浜の南側岩山から板干瀬を境にして南側フサキ浜には非常に少ない。逆にシタダル浜から北側のクマダ浜にかけてもっとも多く、クードー浜にかけて次第に少なくなっている。特に白磁小皿、青磁の碗・小皿・大鉢・盤(皿)、染付の碗、褐釉陶器(南蛮)などがシタダル浜辺や浜前方の海底から採集された。またクマダ浜の干潟の礫層の中からも、大量の磨耗した青磁碗底部がフジツボやフナムシが付着した状態で発見された。
シタダル浜は中生代のチャートによって岩礁海岸を呈し、板干瀬の500~600mの沖にはクソタレイシグヮ(岩)(写真11)までの海蝕棚の海底はチャートの岩盤の緩やかな傾斜が続いて、急に深みに変わっていく地形である。その上に枝サンゴなどが繁殖している。そのため、シタダル浜の海蝕棚の海底の岩盤の上から船体・船倉や積荷の完品・貿易陶磁などを発見することは並大抵のことではない。
1977年ころ、韓国・木浦の新安海底遺跡から、元時代の沈没船が発見された。中国の寧波(浙江の慶元)から1323年に日本の博多に向かって航海途中に朝鮮半島の南西の海(全羅道新安郡の會島沖)で沈没した貿易船である。沈没した新安海底は分厚い泥層なので、船体・船倉や積荷の中国製の貿易陶磁が完品で数多く発見された(文化広報部、1983)。シタダル浜の海底の地質状況とは様相が異なるのである。
シタダル浜・海底一帯の中国製の貿易陶磁の散布状況から判断して、シタダル浜の沖クソタレイシグヮ(岩)に、交易船が衝突、または座礁して沈没し、その際に積荷が潮流に乗ってシタダル浜の板干瀬北側、クマダ浜、クードー浜に流れていったと考えられる。シタダル浜の南側板干瀬が潮流を遮っているために、板干瀬北側から西の海底沖・クソタレイシグヮ(岩)方面にのみ、白磁小皿の完品や青磁の碗・大鉢・盤(皿)そして大型の褐釉陶器(南蛮壺・甕)の口縁・胴部などが多く発見されるのだと想定される。また、台風などの後には、シタダル浜に限って必ずそれらの貿易陶磁が採集された。前方海底の枝サンゴ群生などに挟まれていた青磁碗や白磁の小皿などが台風などにより砂浜に運ばれてくると思われる。白磁小皿の完品のほとんどがシタダル浜やその海底から出土している。
また、クマダ浜一帯の散布状況は、大量の磨耗した青磁碗の底部破片や褐釉陶器(壺、甕)胴部小破片などが干潟のチャート礫層の中から広い範囲で採集される。また、数十点の染付(青花)がまとまって発見された。これらは干潟の小礫層の中から出土するのでほとんどがフジツボやフナムシが付着したりしていた。クマダ浜一帯からは、青磁碗高台が大量に発見される割に、青磁の胴部や口縁は非常に少ない。青磁や青花などが潮流大波に乗って干潟の礫層などの中をローリングしながら割れて運ばれてきた為と思われる。厚く硬い底部のみが干潟の礫層の中にめり込み遺存し、胴部や口縁は細切れに割れて分散して行ったと思われる。
14世紀中葉~16世紀ころは沖縄の琉球王国の官船が、明国への朝貢をおこない、また東南アジア各地と貿易を行ったりしていた。その際の船も宮古・八重山諸島の島々で水や食料の補給など、あるいは風待ちや避難などで一時寄港したこともあり得よう。また朝貢貿易の献上産物である宝貝、ヤコウガイ、牛皮、苧麻衣などの調達確保のために来島したとも考えられる。一方、日本から九州海商が中国製の貿易陶磁などを求めて来島したこともあり得る。さらに明国の海禁政策がはじまっても、中国福建沿岸海商らが宮古や八重山の島々に産出する交易産物(海産物など)を求めて来島したのである(大濵、2008)。
シタダル浜の白磁小皿や青磁の碗破片、南蛮壺甕などを拾いだしてから48年間、筆者はたえず上記のような地域との交易を示す遺物が発見されることも期待していた。中国製の貿易陶磁の見返りとして、地元の交易物産がここにまぎれていないのか、あるいは琉球、内地本土の物産がないのか、探査し続けたが発見されたのは、大量の青磁碗や白磁小皿、褐釉陶器などの中国製の貿易陶磁のみであった。そのことから、沈没船は琉球王国の官船(朝貢船・貿易船)や大和船ではなく、中国の明私船(ジャンク船)であったと考えられる。これらの中国製の貿易陶磁も、中国福建沿岸海商らの明の私船、ジャンク船によって持ち込まれたものが、船ごと沈没したものと考えられる。

            写真9
シタダル浜
            写真10
クマダ浜
           写真11
シタダル浜の沖の岩

究ノート02 名蔵シタダル海底遺跡ににおける中国製の貿易陶磁の散布状況

Ⅰ.はじめに 
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Ⅳ.中世のスク時代の船着場(港)疑問

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