研究ノート01 八重山諸島のスク文化期における交易の展開史
Ⅰ.はじめに Ⅱ.無土器文化の外来文物との接触
Ⅲ.スク交易の展開文化(11~16世紀)の交易の展開
1.交易の萌芽(スク文化前期)
2.スク文化前期の遺跡
Ⅳ.交易の旺盛(スク文化後期) Ⅴ.まとめ 参考文
Ⅴ.まとめ 参考文献
以上、八重山諸島の外来文化の受容は、古く7世紀に遡り、その最初はやはり北方・九州からの影響であった。それは、造船技術の発達や木造船の大型・高度化の遣唐使船などによるものであった。その後、赤木、檳榔、 ヤコウガイなどの威信材を求めて南島の島々への往来が頻繁に行われた。南島経営により徳之島産のカムィヤキが南島一円で消費され、 その流布とともに沖縄本島のグスク文化を受容し、早いうちに粟・麦や稲作などの農耕が行われた。 さらに14世紀ころには、威信材である中国製貿易陶磁器などを求めて民間の九州海商らが来島する。一方、明国の海禁政策が始まると中国福建沿岸海商らが八重山の島々に産出する交易物産(海産物)を求めて解禁政策を犯しても、密貿易・私貿易という形で八重山の島々に来島してきたのである。ここに八重山の島々を中継地の拠点にして、北から琉球王国の官船朝貢船・貿易船)、威信財の中国陶磁を求めての九州海商(大和船)、そして西からの中国福建沿岸海商 (明の私船、ジャンク船)らや民間人との私貿易・密貿易が盛んに行われ、16世紀ころその頂点に達したといえよう(大濵、1985/1994b/1996/1999/2008/2009b)。
石垣市教育委員会1984『山原貝塚発掘調査報告書』第8号
石垣市教育委員会1987『崎枝赤崎貝塚―-沖縄県石垣市崎枝赤崎貝塚発掘調査報告書』第10号
石垣市総務部市史編集室1995『参遣状抜書(上巻)―石垣市史叢書8』石垣市:P63
石垣市史編集室1999『八重山島年来記―石垣市史叢書13』石垣市:P15・30・73、P28
伊仙町教育委員会1985a『カムィヤキ古窯跡群Ⅰ―昭和59年度重要遺跡確認調査』(3)
伊仙町教育委員会1985b『カムィヤキ古窯跡群Ⅱ―ため池等整備事業(木之又地区)に伴う発掘調査』(5)
伊仙町教育委員会2001『カムィヤキ古窯跡群Ⅲ―平成8年度~平成11年度重要遺跡確認調査』(11)
伊仙町教育委員会2005『カムィヤキ古窯跡群Ⅳ―成13年~16年度カムィヤキ古窯跡群発掘調査事業』(12)
上村俊雄・坪根伸也1985「鹿児島県中岳山麓須恵器古窯跡群に関する一考察」『古文化談叢』第15集
宇野隆夫2005[特論]「船」(『列島の古代史 ひと・もの・こと 人と物の移動』第4巻、岩波書店
江上幹幸2007「宮古の先史時代―アラフ遺跡からみた貝斧を使う人々の暮らし」『2007年度―研究発表会資料集―先島の考古学』沖縄考古学会
大瀬戸町教育委員会1980『大瀬戸町石鍋製作所遺跡―詳細分布調査報告書』第1集
大濵永亘1975「八重山石垣島の新石器時代無土器遺跡」『南島考古』第4号、沖縄考古学会:P71~82
大濵永亘1977「6 フルスト原遺跡の試掘調査」(石垣市教委、1977)
大濵永亘1978「Ⅳ 石スク山遺跡の試掘調査(1960・1962の小調査概要)」(沖縄県教委、1978)
大濵永亘1985「八重山の先史時代を考える」『石垣市史のひろば』第8号、石垣市総務部市史編集室:P6~13
大濵永亘1990『名蔵シタダル遺跡について』先島文化研究所
大濵永亘1992「五 八重山のスク時代の鍛冶遺跡と伝承」『琉球弧の世界―海と列島文化6』代表谷川健一、小学館:P555~574
大濵永亘1994a「落穂 土器の発見」『琉球新報』1994年7月25日
大濵永亘1994b「落穂 スク時代」『琉球新報』1994年8月19日
大濵永亘1994c「落穂 ふいご羽口」『琉球新報』1994年11月9日
大濵永亘1994d「落穂 開元通寶」『琉球新報』1994年12月8日
大濵永亘1996「八重山の古代文化とその起源を探る―先史時代から十六世紀の英雄オヤケアカハチ・ホンガワラの乱まで」(『東南アジア考古学会』第16号、東南アジア考古学会:P161~188
大濵永亘1998「大浜のフルスト原遺跡について」「八重山文化研究会活動報告」『八重山文化論集―牧野清先生米寿記念-』〈第3号〉、八重山文化研究会編:P177~216、P405~421
大濵永亘1999『八重山の考古学』先島文化研究所、自費出版
大濵永亘2000「先島文化圏の赤色土器(赤色土器)時代(先史時代第一期)の遺跡について」
『高宮廣衞先生古稀記念論集』高宮廣衞先生古希記念論集刊行会:P251~270
大濵永亘2002「八重山諸島の考古学」『月刊 考古学ジャーナル』臨時増刊号
大濵永亘2004「第2章 先島諸島 〈本文〉先島諸島の遺跡・遺構」『考古資料大観 第12巻 貝塚後期文化』責任編集高宮廣衞・知念勇、小学館:P343~346
大濵永亘2006『オヤケアカハチ・ホンカワラの乱と山陽姓一門の人々』南山舎(先島文化研究所)、自費出版
大濵永亘2008「八重山諸島の交易―スク文化期を中心に」『日琉交易の黎明―ヤマトからの衝撃』編者:谷川健一、森話社:P347~382
大濵永亘・関口広次・大濵永寛・谷川章雄2009a『沖縄県石垣島 名蔵シタダル海底遺跡共同研究報告書-大濵永亘氏調査収集資料を中心に―』先島文化研究所、自費出版
大濵永亘2009b「八重山諸島のスク文化期における交易の展開史」『扶桑―田村晃一先生喜寿記念論文集(青山考古学第25・26合併号)』青山考古学会、田村晃一先生喜寿記念論文集刊行会:P269~287
沖縄県教育委員会1976『八重山石垣島―平得仲本御嶽遺跡発掘調査報告』第3集
沖縄県教育委員会1978a『石城山―緊急発掘調査概報』第15集
沖縄県教育委員会1978b『恩納村熱田貝塚発掘調査ニュース』
沖縄県教育委員会1979a『石垣島の遺跡―詳細分布調査報告書―』第22集
沖縄県教育委員会1979b『ナガタ原貝塚・船越貝塚―発掘調査報告書』第24集
沖縄県教育委員会1980『竹富町・与那国町の遺跡―詳細分布調査報告書―』第29集
沖縄県教育委員会1985『沖縄県石垣市 アラスク村遺跡・ウイヌスズ遺跡発掘調査報告書』第62集
沖縄県教育委員会1986『下田原貝塚・大泊浜貝塚―第一・二・三次発掘調査報告』第74集
沖縄県教育委員会1990a『グスク分布調査報告書(Ⅱ)―宮古諸島―』第94集
沖縄県教育委員会1990b『新里村遺跡―竹富島一周道路建設工事に伴う緊急発掘調査報告』第97集
沖縄県教育委員会1991『西表島-上村遺跡―重要遺跡確認調査報告』第98集
沖縄県教育委員会1994a『グスク分布調査報告書(Ⅲ)―八重山諸島―』第113集
沖縄県教育委員会1994b『竹富島 カイジ浜貝塚―竹富島一周道路建設工事に伴う緊急発掘調査報告』第115集
沖縄県立埋蔵文化財センタ-2004『後兼久原遺跡―米軍送油管移設に係る緊急発掘調査報告書』第22集
『沖縄タイムス』2006年9月10日「奄美に太宰府の出先か・琉球と大和結んだ奄美」
義憲和・四本延宏1984「亀焼古窯跡」『鹿児島考古』第18号、鹿児島県考古学会
喜界町教育委員会2006「須恵器、鞴の羽口」『城久遺跡群・山田中西遺跡Ⅰ―喜界島通信所整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書―』(8)
喜界町教育委員会2008「須恵器、鞴の羽口」『城久遺跡群・山田中西遺跡Ⅱ―畑地帯総合整備(担い手育成型)事業城久地区に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書―』(9)
喜界町教育委員会2009『城久遺跡群・山田半田遺跡(山田半田A遺跡・山田半田B遺跡)―畑地帯総合整備事業(担い手育成型)城久地区に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-』(10)
岸本竹美2003「グスク時代及び近世出土の玉製品に関する考察」『紀要沖縄埋文研究1』沖縄県立埋蔵文化財センタ-
金武正紀1974「仲間第一貝塚出土の開元通宝について」『考古学だより』第13号、沖縄考古学会
金武正紀2003「第四章 先島の先史時代(後期・仲間第一期・無土器期)、第一節 概観と特徴・第二節 社会と文化」『沖縄県史』各論編第2巻考古、沖縄県教育委員会
国分直一1972「九 原史時代への推移―その背景をなした事情をめぐって」「十 技術と文化―その系統・形成をめぐる問題」『南島先史時代の研究』慶友社:P398~458
国分直一1975「海上の道―海流・季節風・動物をめぐって」『えとのす』第2号、新日本出版教育図書
佐久間重雄1975「明代の琉球と中国との関係―交易路を中心として」『明代史研究』第3号、明代史研究会
佐藤伸二1970「南島の須恵器」『東洋文化』48・49合併号、東京大学東洋文化研究所編、東京大学出版会
下川達彌編1984「滑石製石鍋出土地名表(九州・沖縄)」『九州文化史研究所紀要』第29号、九州大学文化史研究施設
下地馨1975「スビ貝と南蛮貿易」『宮古の民俗文化』琉球出版
白木原和美1975「類須恵器の出自について」『法文論叢―史学編、森田誠一教授退官記念号』第36号、熊本大学法文学会
新里亮人2003「徳之島カムィヤキ古窯産製品の流通とその特質―付 カムィヤキ出土遺跡地名表―」『先史学・考古学論究 Ⅳ―考古学研究室創設30周年記念論文集』龍田考古会
高崎彰1971「李朝実録より見た15世紀末の南西諸島・先島社会」(『第10次沖縄八重山調査隊‐与那国島調査報告書』早稲田大学アジア学会
高橋一郎1998『海原の平家伝承-奄美説話の原像』三弥井書店
谷川健一・山下欣一編1992『南島の文学・民俗・歴史―「南島文学発生論」をめぐって』三一書房
高宮廣衞1967(3版発行)「Ⅲ 古墳文化の地域的特色」「11 沖縄―貝塚時代、城時代」『日本の考古学Ⅳ 古墳時代(上)』編者:近藤芳郎・藤沢長治、河出書房
滝口宏(代表)・西村正衛・玉口時雄・大川清・浜名厚1960「八重山の考古学・結語」『沖縄八重山』校倉書房
竹原孫恭1978「第1話 屏風山(ペーフヤマ)の蛇」「第46話 鍋掻田(ナビカキマシィ)」『ばが―島八重山の民話』:P1~3、P111~115
谷川章雄2004「沖縄県」『日本玉作大観』吉川公文館
谷川章雄2008「沖縄の玉とその交易」『日琉交易の黎明―ヤマトからの衝撃』編者:谷川健一、森話社:P285~303 谷川章雄2009「一五世紀の沖縄先島の農耕をめぐって-石垣島仲筋貝塚出土土器の植物珪酸体分析-」『東アジアの歴史・考古・民俗』(早稲田大学アジア研究機構叢書人文学篇第2巻/雄山閣)
田中健夫1968「4 遣明船とバハン船」、『船・ものと人間の文化史』須藤利一編、法政大学出版局
田村晃一1988「四 沖縄の文化」『日本文化の源流』著者:小林達雄・春成秀爾・藤本強・田村晃一、学生社P187~236
多和田眞淳1956年4月5日~15日「考古の旅」『沖縄タイムス』
北谷教育委員会1985『北谷城第七遺跡―端慶覧幹線移設工事に係る発掘調査』第2集
北谷町教育委員会2003『後兼久原遺跡―庁舎建設係る文化財発掘調査報告―』第21集
東京国立博物館編1978「唐―五代〈奈良―平安時代〉黄釉」『日本出土の中国陶磁』東京美術
鳥居龍蔵「八重山の石器時代の住民に就いて」『太陽』第11巻5號/1905年)
鳥居龍蔵「八重山の遺跡に就て」『有史以前の日本』(磯部甲陽堂/1922年)
長井久美男編1994『中世の出土銭-出土銭の調査と分類』兵庫埋蔵銭調査会
仲筋貝塚発掘調査団(代表大浜永亘・関口広次・谷川章雄・中沢富士雄)1981『沖縄・石垣島―仲筋貝塚発掘調査報告』
名瀬市教育委員会2003『奄美大島名瀬市―小湊フワガネク遺跡群 遺跡範囲確認発掘調査報告書』4
名瀬市教育委員会2005『奄美大島名瀬市―小湊フワガネク遺跡群Ⅰ 学校法人日章学園「奄美看護福祉専門学校」拡張事業に伴う緊急発掘調査報告書』7
那覇市教育委員会1994『ヒヤジョー毛遺跡―那覇新都心土地区画整理事業に伴う緊急発掘調査報告』第26集
那覇市教育委員会1997『銘苅原遺跡―那覇新都心土地区画整理事業に伴う緊急発掘調査報告Ⅳ』第35集
南島考古編集部編1973「県内遺跡出土の木炭・貝のカ―ボン測定一覧表」『南島考古』第3号、沖縄考古学会
平得公民館建設記念誌編集委員会1978『平得公民館建設記念誌』平得公民館
ピアソン・リチャード、安里進、モンクス・グレゴリー、ポコティロ・デビッド(ピアソン・一枝訳)1990「久米島と西表島における遺跡の発掘」『文化課紀要』第6号、沖縄県教育委員会文化課
松田清編1981『古代・中世奄美史料』JCA出版刊:P54
三上次男1969『陶磁の道―東西文明の接点をたずねて-』岩波新書
三島格1971「南西諸島における古代稲作資料」『南島考古』第2号、沖縄考古学会
三島格1975「スビとスビ甕交易のこと」『えとのす』第2号、新日本出版教育図書:p86
三島格1989「Ⅴ 中国華南・台湾と南島をめぐる問題―海巴と螺殻―琉球と中国華南の交渉」『南島考古学―南島・大和および華南・台湾』第一書房:P333~364
三杉隆敏1968「海のシルクロードを求めて-東西やきもの交流史』創元社
三杉隆敏1987「黒潮に青磁をもとめて『陶説 緑陰随筆号』413、8月号
森克己1968「3 遣唐使船」『船・ものと人間の文化史』須藤利一編、法政大学出版局
森浩一2004「第6の対話 宝貝と和人」『海から知る考古学入門―古代人との対話』角川書店:P109~129
山里純一1999「Ⅲ遣唐使と南島路、Ⅳ南島の貢進・交易物」『古代日本と南島の交流』吉川弘文館
与那国町教育委員会1988『与那原遺跡―個人農家の畑地改良工事等に伴う緊急発掘調査報告』第2集
和田久徳・池谷望子・内田晶子・高瀬恭子2003『明実緑』の「琉球史料(二)‐歴代宝案編集参考資料7」(財)沖縄県文化振興会公文書管理部史料編集室
Kirch, P.V. 2000:On the road of the winds. An archaeological history of the Pacific Isnlands before European contacts. University of California Press
石垣市教育委員会1987『崎枝赤崎貝塚―-沖縄県石垣市崎枝赤崎貝塚発掘調査報告書』第10号
石垣市総務部市史編集室1995『参遣状抜書(上巻)―石垣市史叢書8』石垣市:P63
石垣市史編集室1999『八重山島年来記―石垣市史叢書13』石垣市:P15・30・73、P28
伊仙町教育委員会1985a『カムィヤキ古窯跡群Ⅰ―昭和59年度重要遺跡確認調査』(3)
伊仙町教育委員会1985b『カムィヤキ古窯跡群Ⅱ―ため池等整備事業(木之又地区)に伴う発掘調査』(5)
伊仙町教育委員会2001『カムィヤキ古窯跡群Ⅲ―平成8年度~平成11年度重要遺跡確認調査』(11)
伊仙町教育委員会2005『カムィヤキ古窯跡群Ⅳ―成13年~16年度カムィヤキ古窯跡群発掘調査事業』(12)
上村俊雄・坪根伸也1985「鹿児島県中岳山麓須恵器古窯跡群に関する一考察」『古文化談叢』第15集
宇野隆夫2005[特論]「船」(『列島の古代史 ひと・もの・こと 人と物の移動』第4巻、岩波書店
江上幹幸2007「宮古の先史時代―アラフ遺跡からみた貝斧を使う人々の暮らし」『2007年度―研究発表会資料集―先島の考古学』沖縄考古学会
大瀬戸町教育委員会1980『大瀬戸町石鍋製作所遺跡―詳細分布調査報告書』第1集
大濵永亘1975「八重山石垣島の新石器時代無土器遺跡」『南島考古』第4号、沖縄考古学会:P71~82
大濵永亘1977「6 フルスト原遺跡の試掘調査」(石垣市教委、1977)
大濵永亘1978「Ⅳ 石スク山遺跡の試掘調査(1960・1962の小調査概要)」(沖縄県教委、1978)
大濵永亘1985「八重山の先史時代を考える」『石垣市史のひろば』第8号、石垣市総務部市史編集室:P6~13
大濵永亘1990『名蔵シタダル遺跡について』先島文化研究所
大濵永亘1992「五 八重山のスク時代の鍛冶遺跡と伝承」『琉球弧の世界―海と列島文化6』代表谷川健一、小学館:P555~574
大濵永亘1994a「落穂 土器の発見」『琉球新報』1994年7月25日
大濵永亘1994b「落穂 スク時代」『琉球新報』1994年8月19日
大濵永亘1994c「落穂 ふいご羽口」『琉球新報』1994年11月9日
大濵永亘1994d「落穂 開元通寶」『琉球新報』1994年12月8日
大濵永亘1996「八重山の古代文化とその起源を探る―先史時代から十六世紀の英雄オヤケアカハチ・ホンガワラの乱まで」(『東南アジア考古学会』第16号、東南アジア考古学会:P161~188
大濵永亘1998「大浜のフルスト原遺跡について」「八重山文化研究会活動報告」『八重山文化論集―牧野清先生米寿記念-』〈第3号〉、八重山文化研究会編:P177~216、P405~421
大濵永亘1999『八重山の考古学』先島文化研究所、自費出版
大濵永亘2000「先島文化圏の赤色土器(赤色土器)時代(先史時代第一期)の遺跡について」
『高宮廣衞先生古稀記念論集』高宮廣衞先生古希記念論集刊行会:P251~270
大濵永亘2002「八重山諸島の考古学」『月刊 考古学ジャーナル』臨時増刊号
大濵永亘2004「第2章 先島諸島 〈本文〉先島諸島の遺跡・遺構」『考古資料大観 第12巻 貝塚後期文化』責任編集高宮廣衞・知念勇、小学館:P343~346
大濵永亘2006『オヤケアカハチ・ホンカワラの乱と山陽姓一門の人々』南山舎(先島文化研究所)、自費出版
大濵永亘2008「八重山諸島の交易―スク文化期を中心に」『日琉交易の黎明―ヤマトからの衝撃』編者:谷川健一、森話社:P347~382
大濵永亘・関口広次・大濵永寛・谷川章雄2009a『沖縄県石垣島 名蔵シタダル海底遺跡共同研究報告書-大濵永亘氏調査収集資料を中心に―』先島文化研究所、自費出版
大濵永亘2009b「八重山諸島のスク文化期における交易の展開史」『扶桑―田村晃一先生喜寿記念論文集(青山考古学第25・26合併号)』青山考古学会、田村晃一先生喜寿記念論文集刊行会:P269~287
沖縄県教育委員会1976『八重山石垣島―平得仲本御嶽遺跡発掘調査報告』第3集
沖縄県教育委員会1978a『石城山―緊急発掘調査概報』第15集
沖縄県教育委員会1978b『恩納村熱田貝塚発掘調査ニュース』
沖縄県教育委員会1979a『石垣島の遺跡―詳細分布調査報告書―』第22集
沖縄県教育委員会1979b『ナガタ原貝塚・船越貝塚―発掘調査報告書』第24集
沖縄県教育委員会1980『竹富町・与那国町の遺跡―詳細分布調査報告書―』第29集
沖縄県教育委員会1985『沖縄県石垣市 アラスク村遺跡・ウイヌスズ遺跡発掘調査報告書』第62集
沖縄県教育委員会1986『下田原貝塚・大泊浜貝塚―第一・二・三次発掘調査報告』第74集
沖縄県教育委員会1990a『グスク分布調査報告書(Ⅱ)―宮古諸島―』第94集
沖縄県教育委員会1990b『新里村遺跡―竹富島一周道路建設工事に伴う緊急発掘調査報告』第97集
沖縄県教育委員会1991『西表島-上村遺跡―重要遺跡確認調査報告』第98集
沖縄県教育委員会1994a『グスク分布調査報告書(Ⅲ)―八重山諸島―』第113集
沖縄県教育委員会1994b『竹富島 カイジ浜貝塚―竹富島一周道路建設工事に伴う緊急発掘調査報告』第115集
沖縄県立埋蔵文化財センタ-2004『後兼久原遺跡―米軍送油管移設に係る緊急発掘調査報告書』第22集
『沖縄タイムス』2006年9月10日「奄美に太宰府の出先か・琉球と大和結んだ奄美」
義憲和・四本延宏1984「亀焼古窯跡」『鹿児島考古』第18号、鹿児島県考古学会
喜界町教育委員会2006「須恵器、鞴の羽口」『城久遺跡群・山田中西遺跡Ⅰ―喜界島通信所整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書―』(8)
喜界町教育委員会2008「須恵器、鞴の羽口」『城久遺跡群・山田中西遺跡Ⅱ―畑地帯総合整備(担い手育成型)事業城久地区に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書―』(9)
喜界町教育委員会2009『城久遺跡群・山田半田遺跡(山田半田A遺跡・山田半田B遺跡)―畑地帯総合整備事業(担い手育成型)城久地区に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-』(10)
岸本竹美2003「グスク時代及び近世出土の玉製品に関する考察」『紀要沖縄埋文研究1』沖縄県立埋蔵文化財センタ-
金武正紀1974「仲間第一貝塚出土の開元通宝について」『考古学だより』第13号、沖縄考古学会
金武正紀2003「第四章 先島の先史時代(後期・仲間第一期・無土器期)、第一節 概観と特徴・第二節 社会と文化」『沖縄県史』各論編第2巻考古、沖縄県教育委員会
国分直一1972「九 原史時代への推移―その背景をなした事情をめぐって」「十 技術と文化―その系統・形成をめぐる問題」『南島先史時代の研究』慶友社:P398~458
国分直一1975「海上の道―海流・季節風・動物をめぐって」『えとのす』第2号、新日本出版教育図書
佐久間重雄1975「明代の琉球と中国との関係―交易路を中心として」『明代史研究』第3号、明代史研究会
佐藤伸二1970「南島の須恵器」『東洋文化』48・49合併号、東京大学東洋文化研究所編、東京大学出版会
下川達彌編1984「滑石製石鍋出土地名表(九州・沖縄)」『九州文化史研究所紀要』第29号、九州大学文化史研究施設
下地馨1975「スビ貝と南蛮貿易」『宮古の民俗文化』琉球出版
白木原和美1975「類須恵器の出自について」『法文論叢―史学編、森田誠一教授退官記念号』第36号、熊本大学法文学会
新里亮人2003「徳之島カムィヤキ古窯産製品の流通とその特質―付 カムィヤキ出土遺跡地名表―」『先史学・考古学論究 Ⅳ―考古学研究室創設30周年記念論文集』龍田考古会
高崎彰1971「李朝実録より見た15世紀末の南西諸島・先島社会」(『第10次沖縄八重山調査隊‐与那国島調査報告書』早稲田大学アジア学会
高橋一郎1998『海原の平家伝承-奄美説話の原像』三弥井書店
谷川健一・山下欣一編1992『南島の文学・民俗・歴史―「南島文学発生論」をめぐって』三一書房
高宮廣衞1967(3版発行)「Ⅲ 古墳文化の地域的特色」「11 沖縄―貝塚時代、城時代」『日本の考古学Ⅳ 古墳時代(上)』編者:近藤芳郎・藤沢長治、河出書房
滝口宏(代表)・西村正衛・玉口時雄・大川清・浜名厚1960「八重山の考古学・結語」『沖縄八重山』校倉書房
竹原孫恭1978「第1話 屏風山(ペーフヤマ)の蛇」「第46話 鍋掻田(ナビカキマシィ)」『ばが―島八重山の民話』:P1~3、P111~115
谷川章雄2004「沖縄県」『日本玉作大観』吉川公文館
谷川章雄2008「沖縄の玉とその交易」『日琉交易の黎明―ヤマトからの衝撃』編者:谷川健一、森話社:P285~303 谷川章雄2009「一五世紀の沖縄先島の農耕をめぐって-石垣島仲筋貝塚出土土器の植物珪酸体分析-」『東アジアの歴史・考古・民俗』(早稲田大学アジア研究機構叢書人文学篇第2巻/雄山閣)
田中健夫1968「4 遣明船とバハン船」、『船・ものと人間の文化史』須藤利一編、法政大学出版局
田村晃一1988「四 沖縄の文化」『日本文化の源流』著者:小林達雄・春成秀爾・藤本強・田村晃一、学生社P187~236
多和田眞淳1956年4月5日~15日「考古の旅」『沖縄タイムス』
北谷教育委員会1985『北谷城第七遺跡―端慶覧幹線移設工事に係る発掘調査』第2集
北谷町教育委員会2003『後兼久原遺跡―庁舎建設係る文化財発掘調査報告―』第21集
東京国立博物館編1978「唐―五代〈奈良―平安時代〉黄釉」『日本出土の中国陶磁』東京美術
鳥居龍蔵「八重山の石器時代の住民に就いて」『太陽』第11巻5號/1905年)
鳥居龍蔵「八重山の遺跡に就て」『有史以前の日本』(磯部甲陽堂/1922年)
長井久美男編1994『中世の出土銭-出土銭の調査と分類』兵庫埋蔵銭調査会
仲筋貝塚発掘調査団(代表大浜永亘・関口広次・谷川章雄・中沢富士雄)1981『沖縄・石垣島―仲筋貝塚発掘調査報告』
名瀬市教育委員会2003『奄美大島名瀬市―小湊フワガネク遺跡群 遺跡範囲確認発掘調査報告書』4
名瀬市教育委員会2005『奄美大島名瀬市―小湊フワガネク遺跡群Ⅰ 学校法人日章学園「奄美看護福祉専門学校」拡張事業に伴う緊急発掘調査報告書』7
那覇市教育委員会1994『ヒヤジョー毛遺跡―那覇新都心土地区画整理事業に伴う緊急発掘調査報告』第26集
那覇市教育委員会1997『銘苅原遺跡―那覇新都心土地区画整理事業に伴う緊急発掘調査報告Ⅳ』第35集
南島考古編集部編1973「県内遺跡出土の木炭・貝のカ―ボン測定一覧表」『南島考古』第3号、沖縄考古学会
平得公民館建設記念誌編集委員会1978『平得公民館建設記念誌』平得公民館
ピアソン・リチャード、安里進、モンクス・グレゴリー、ポコティロ・デビッド(ピアソン・一枝訳)1990「久米島と西表島における遺跡の発掘」『文化課紀要』第6号、沖縄県教育委員会文化課
松田清編1981『古代・中世奄美史料』JCA出版刊:P54
三上次男1969『陶磁の道―東西文明の接点をたずねて-』岩波新書
三島格1971「南西諸島における古代稲作資料」『南島考古』第2号、沖縄考古学会
三島格1975「スビとスビ甕交易のこと」『えとのす』第2号、新日本出版教育図書:p86
三島格1989「Ⅴ 中国華南・台湾と南島をめぐる問題―海巴と螺殻―琉球と中国華南の交渉」『南島考古学―南島・大和および華南・台湾』第一書房:P333~364
三杉隆敏1968「海のシルクロードを求めて-東西やきもの交流史』創元社
三杉隆敏1987「黒潮に青磁をもとめて『陶説 緑陰随筆号』413、8月号
森克己1968「3 遣唐使船」『船・ものと人間の文化史』須藤利一編、法政大学出版局
森浩一2004「第6の対話 宝貝と和人」『海から知る考古学入門―古代人との対話』角川書店:P109~129
山里純一1999「Ⅲ遣唐使と南島路、Ⅳ南島の貢進・交易物」『古代日本と南島の交流』吉川弘文館
与那国町教育委員会1988『与那原遺跡―個人農家の畑地改良工事等に伴う緊急発掘調査報告』第2集
和田久徳・池谷望子・内田晶子・高瀬恭子2003『明実緑』の「琉球史料(二)‐歴代宝案編集参考資料7」(財)沖縄県文化振興会公文書管理部史料編集室
Kirch, P.V. 2000:On the road of the winds. An archaeological history of the Pacific Isnlands before European contacts. University of California Press
[参考文献]
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青山学院大学調査団(代表三上次男、田村晃一)1980『沖縄・石垣島―ヤマバレー遺跡第2次発掘調査概報』
青山学院大学調査団(代表三上次男、田村晃一)1982『沖縄・西表島‐与那良遺跡発掘調査概報』
青山学院大学調査団(代表三上次男、田村晃一)1987「沖縄県八重山郡竹富町‐西表・成屋遺跡発掘調査概報」『青山史学』第9号
安里進・春成秀爾編2001『沖縄県大泊浜貝塚』考古学資料集27
アラフ遺跡発掘調査団(代表江上幹幸)2003『アラフ遺跡調査研究Ⅰ 沖縄県宮古島アラフ遺跡発掘調査報告』
安渓遊地編者2007『西表島の農耕文化―海上の道の発見』法政大学出版局
石垣市教育委員会1977『フルスト原遺跡』第1集
石垣市教育委員会1982『桃里恩田遺跡―沖縄県石垣市桃里恩田遺跡試掘調査報告書』第5号
石垣市教育委員会1983『ビロースク遺跡―沖縄県石垣市新川・ビロースク遺跡発掘調査報告書』第6号
青山学院大学調査団(代表三上次男、田村晃一)1980『沖縄・石垣島―ヤマバレー遺跡第2次発掘調査概報』
青山学院大学調査団(代表三上次男、田村晃一)1982『沖縄・西表島‐与那良遺跡発掘調査概報』
青山学院大学調査団(代表三上次男、田村晃一)1987「沖縄県八重山郡竹富町‐西表・成屋遺跡発掘調査概報」『青山史学』第9号
安里進・春成秀爾編2001『沖縄県大泊浜貝塚』考古学資料集27
アラフ遺跡発掘調査団(代表江上幹幸)2003『アラフ遺跡調査研究Ⅰ 沖縄県宮古島アラフ遺跡発掘調査報告』
安渓遊地編者2007『西表島の農耕文化―海上の道の発見』法政大学出版局
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石垣市教育委員会1983『ビロースク遺跡―沖縄県石垣市新川・ビロースク遺跡発掘調査報告書』第6号